論破という言葉の違和感
MBAとかコンサルとかそういった論理的思考に重きを置いているようなジャンルの世界に身を置いていると
論破するの得意なの?と聞かれることがあります。
しかし、これ、結構違和感があります。
多分、マトモな脳を持っている人は論破しようとしてしている人は少ないですよ。
2ちゃんねるで有名になった西村ひろゆきさん、堀江貴文さんなど、
ネットでの露出度の高い、論客と呼ばれる方々も「論破した」などと
各方面で書かれたりしていますが、ご本人は全くそのような狙いで話しているわけではないはずです。
ただ単に、論理的におかしいことを正したり、物事の真理を突き詰めていきたい、
そのための議論をしているだけなはずです。
ただ、その過程で、どうしても相手の意見を否定することになることがある。
この部分を取り出して、相手をやっつけた、論破だ! と捉えてしまう人がいる。
勝ち負けとか割とどうでもいいはずなんですよ。
おそらく、このような捉え方をしてしまう人は、
人間同士のやり取りを 敵と味方 好きと嫌い のように分類して
そのうえで議論を聞いている人なのかと思います。
議論の中身に集中していれば、どちらが真理に近いか しか気にならないはずです。
論破するのではなく議論をしている、という考え方がないと質の高い会話はできません。
学業でも仕事でも当たり前に持ちたい姿勢ですね。