情報格差は是正されていく
最近は古本屋を見ていてふと思ったことがあります。
それは「掘り出しもの」ってもうないんじゃない?ということです。
ネットを見れば妥当な金額が分かってしまう
インターネットが普及する以前であれば、
店員さんが一部ではプレミアがついている商品を知らずに安く売ってしまう なんていうことが
頻繁に起きていたはずです。これを専門にやって稼ぐ人が セドリ と呼ばれる商売をしている方なのだと思います。
しかし、今はネットである程度妥当な金額が分かってしまう、これによってセドリはかつてよりやりづらくなっているはずです。
まだまだ隙はあるが・・・
とはいえ、ものすごくニッチな領域にはプレミア商品が安く店頭に出されている ということが存在しているようです。
セドリをビジネスとしている方がネット上で一定層見受けられます。
これは、ブックオフをはじめとする古本屋がわざわざ情報を仕入れてプレミア商品を判定して高い値をつけるという作業をしないほど、ニッチな領域の商品だから成り立つ話です。
しかし、これが、データ解析が進み完全自動で値付けできるようになった瞬間に、セドリは過去のものとなるでしょう。
情報格差はなくなっていく
情報がないために、適正でない値段がつけられる という現象は、
情報が高度に解析され連携される基盤が整えば整うほど、少なくなっていくでしょう。
これは本の世界だけでなく、あらゆる業界で起きていくことであろうと考えられます。
情報格差を埋めることで成立するビジネスは生態系をかえる
情報格差がシステムによって均一化されていけば、情報格差を源泉としてなりたつビジネスは生態系を大きく変えることになります。
セドリだけでなく、何か仲介・紹介することを労働集約型で実施している、人材紹介業・不動産紹介業等もその対象となるでしょう。
また、適切な情報が提供されるという観点では保険や金融といった業種にも大きな影響を与えるといえます。
ニワが思うこと
情報格差のない社会は、適正な価値を適正な価格で得ることができる社会であるといえます。
しかし、情報の均一化がおきると、そこで生産される多様性を奪いかねない側面があるとも考えられます。
人間の活動を
Input Process Output
入力 処理 出力
という過程でとらえるならば、 入力 の部分で取り入れられる情報が
これまでより、均一に取り入れられる方向に進むからです。
(人間は流通する情報を選択して取り入れているので、完全な画一化はおきません)
そうすると Input の段階でどのように選択するのか
Processでいかに個性を出せるか、Outputの技法をいかに広げるのか という議論になるかと思います。
これまでは特定地域で伝わってきた伝統のやり方をInputにして従ってきた人々が
世界中の情報に触れるようになると、その伝統性は失われていきます。
それが世界規模で起こると一つのグローバルな文化に当てはまるようになっていく・・・
こうすると、どこにいっても、同じようなものが生産されていくということが起きるかもしれない
何かそれが強烈に退屈な気がしています。
東京のイオンも長野のイオンもカンボジアのイオンも似ているわけですが、
世界中で生み出されるものがそんな方向になっていくとさすがにつまらないなぁ。
まだまだ技術の制約や言語の壁などでそこまでは進まないのでしょうけれど。
特に言語の壁は情報の混濁を適度に防ぐ障壁になるかもしれません。