【詩】茨木のり子「自分の感受性くらい」がマジしみる ぱさぱさに乾いていく感性を持つビジネスマンへ
こんな人におすすめ
・普段、詩を読まない人
・サラリーマンの方
みなさま、茨城のり子さんはご存知でしょうか。
「自分の感受性くらい」という詩が有名な詩人です。
1926年生まれ、2006年に79歳で亡くなられた詩人で、
「わたしが一番きれいだったとき」や「自分の感受性くらい」
という詩が国語の教科書に掲載されていたため
ご存知の方も多いのではないでしょうか。
自分の感受性くらい 茨城のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
いかがでしょうか。
こちらの詩が発表されたのが、
1977年、茨城が51歳の年に発表された作品です。
茨城が紹介される文脈はどうしても
戦争経験者であり、戦後の苦しい時代を知っている人の言葉としての
紹介になりがちなのです。
とはいえ、この詩、現代に生きる人にとっても、非常に良い詩であると思います。
「自責」のニュアンスが素晴らしい
人間は自己防衛の本能として、
どうしても置かれている環境や周囲の人のせいにして
自分のせいではない と考えてしまう傾向があります。
そうでないとストレスフルな人生になってしまいますからね。
とはいえ、周りのせいにしても何の解決にもならないですよね。
なので、自分の置かれている環境を自分の責任と受け止めて生きていかざるを得ないのが
人生なのです。
だからこそ、この詩は現実と向き合って生きなければならない現代人にとってエールになるものかと思います。
上司が自分を評価してくれない ⇒ 自分の能力が低い または そんな上司がいる会社に就職した自分が悪い
会社の業績が悪いので給料が上がらない ⇒そんな会社にいる自分が悪い 転職すればいいのに、転職する能力を磨かなかった自分が悪い
会社の同僚が冷たい ⇒ 優しくしてもらえるだけの価値が自分にないのが悪い 自分を磨けばいい
など
どこまでいっても自己責任です。
ぱさぱさに乾いていく
冒頭のぱさぱさに乾いていく というのが非常にしっくり来ています。
どうしても、仕事をマトモにやろうとすると
自分の心への水やりを怠ってしまいがちです。
私はこの詩を読むたびに、水やりを怠っておいて、
感性が干からびていくことに何の対策もしていない自分に
喝をいれています。
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